2009-03-10

文化ということ

木村敏の「自己・あいだ・時間」を読んでいて分裂病(今日の呼称では統合失調症)などの精神疾患を理解するためには西洋的二元論では限界があるとの記述がある。
すなわち、精神疾患を個体内部の病変とみなさず、個人と世界との関わりの病態とみなしさえすれば、文化と精神病理の間の二元論は不必要になる。そして文化の場と精神病理の場とは端的にひとつに重なり合って、両者の間には相互外在的な規定、被規定の関係ではなくて、直接無媒介的な共根源性が成立するというわけだ。
木村敏によればこれを裏付ける話として日本人の「自然」に対する理解がある。以下そのくだり。(441ページ)
「自然」における「自」の文字に「おのずから」の意味を託した古代の日本人は、同じ「自」の文字に「みずから」の意味をも託した。しかも「自」の文字は、語源的には元来、「起始、発生」を意味する。「おのずから」と「みずから」という一見相反する二つの意味が、ともに「発生」を意味する一個の文字によって表現されえたということは、古来の日本人の自然観を見ていく上で重要なことである。やや図式的にいえば、古来の日本人は自然と自己とをその共通の根源である「発生」の相において共属的に捉えていたということなのである。日本人にとっては、自己と対峙するものとしての自然は存在しえなかった。そのかわり、実生活のあらゆる局面で身の回りにふと湧き出る情感を直接肌身で感じ取った上で、これを自分のほうへ引き寄せて「自己(みずから)」といい、これをものの世界のほうへ仮託して「自然(おのずから)」といっていたのである。自己はそのまま自然に映し出され、自然は自己を染めつくしているといってもよいだろう。
木村敏によれば、西洋と日本における自己と世界との関わり方の基本的構造の違いは、そのままそれぞれの土地に住む種的主体がみずからを取り巻く自然との交渉を通じて、自己の存在を確保していくための形成行為としての「文化」の構造的差異にも、反映しているものと考える必要がある。

これらの記述を読んで想起するのは西洋でも非西洋的な考え方をしていたゲーテの生理的色彩に関する記述だ。ゲーテは生理的色彩が主観に、すなわち眼にまったくあるいは大部分属しているという理解をしていた。
ゲーテ「色彩論」日本語訳注を書いた木村直司によれば、ゲーテにおいて人間と世界、主観と客観は密接な相関関係にあり、主観の中にあるものはすべて客観の中にあり、客観の中にあるものはすべて主観の中にあって、しかも両者は完全に同一ではない。ゲーテが色彩現象の観察にさいして生理的色彩にまず注目するのは、視覚というものが客観的な自然のたんなる反映ではなく、色彩の知覚には眼が活動的に関与していることを強調するためである。(本文第6節、第38節)これによって現象は主観と客観の関係として成立する。(447ページ)

木村敏も西田幾多郎の次の言葉を引用している。(272ページ)
私が汝を知り汝が私を知るとは何を意味するか。私は直観ということを自己が自己を知ることから考えた。そして自己が自己を知るということは自己において絶対の他を認めることであると言った。併しかかる関係は直ちに之を逆に見ることができる。自己が自己の中に絶対の他を認めることによって無媒介的に他に移り行くと考える代わりに、かかる過程は絶対の他の中に私を見、他が他自身を限定することが私が私自身を限定することであると考えることである。私が内的に私に入って来るという意味を有っていなければならない。

そして、木村敏が「和辻哲郎」を引いて強調しているように(上記のゲーテも同じことが言えるだろうが)次の点が重要だ。
和辻の風土論に対しては、実証的・科学的な文化人類学者の間から多くの批判が提出されている。たしかに客観的事実に関する限り、和辻の知識はまだきわめて制約されていたし、現在から見ると不正確な点も多いだろう。しかし、和辻のめざしていた風土理解はそのような客観的・実証的な形のものではなかった。和辻風土学の底を一貫して流れているのは、主観性(ノエシス)としての、あるいはむしろ「間主観性(ノエシス)」としての人間存在の自己理解の場所としての、主観(ノエシス)的風土の解釈学であったのである。比較文化精神医学が、自然科学的精神医学とは異なった本質理解の上に立つ人間学的・現象学的な精神病理学に何らかの寄与をなしうるとするならば、その文化理解が依拠する自然論・風土論も、自然科学的文化人類学とは異なった基盤の上に立つものでなくてはならないだろう。(443ページ)